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映画「生きる」のあらすじを葬儀社「おくりびとのお葬式」が解説【エンディング映画】

2025.03.17

映画「生きる」のあらすじを葬儀社「おくりびとのお葬式」が解説【エンディング映画】

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目次

黒澤明監督の『生きる』(1952年)は、人間の「死生観」を深く問いかける作品として広く知られています。 物語の主人公・渡辺勘治は、市役所の課長として長年仕事に追われながらも実質的には無為な日々を過ごしていました。 しかし自身の死期を悟ったことで、はじめて「生きる」ということの意味を真剣に考えはじめます。 死を目前にした人間が「何のために生きるのか」を追い求める姿は普遍的なテーマであり、鑑賞するたびに“生き方の再考”を促してくれる、時代を超えた傑作と評価されています。

あらすじ

市役所の市民課長・渡辺勘治は、30年間無欠勤で働き続けた模範的な役人ですが、形式主義に縛られた職場で無気力な日々を送っていた。 ある日、体調不良で病院を訪れた彼は、自分が胃癌であり余命わずかであることを知る。 渡辺は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通す。 そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった。

国内外での評価

本作は公開当時から国内外の批評家や観客から高く評価されてきました。 社会の底辺や官僚機構の問題をえぐり出しながらも、静かで力強い希望の光を見出す構成は、観る者に「自分にとっての本当の幸せとは何か」を問いかけます。 こうした“切実さ”と“希望”の両立が多くの人々の心を打ち、国境を越えて長く支持されてきた理由と言えるでしょう。 多くの批評家や映画ファンが繰り返し語るのは、主人公の“残された時間でできること”に全力で立ち向かう誠実さであり、その姿に自分自身の人生を照らし合わせる普遍性です。

国内での評価

キネマ旬報ベスト・テン

日本を代表する映画誌『キネマ旬報』では、1952年当時の同誌の年間ランキングでは1位になりました。 後年に行われた「オールタイム日本映画ベスト」や「昭和の名作映画特集」などでも繰り返し取り上げられ、「日本映画を代表する不朽の名作」 の一つとして位置づけられています。

受賞など

1950年代の国内映画賞において、監督・演技・脚本など複数部門でノミネート・受賞しています。 1952年の毎日映画コンクールでは、「日本映画大賞」や「脚本賞」を受賞しています。

国外での評価

批評家・映画監督投票

Sight & Sound が 10 年ごとに行う「Greatest Films of All Time」投票では、黒澤明の作品群はいくつかランクインしており、 最も票を集めやすいのは『七人の侍』『羅生門』といった時代劇ですが、『生きる』も トップ250内にたびたび名前が挙がっています。

票数の概略

たとえば 2012 年の批評家投票では、最終的なトップ 100 以内にこそ入らなかったものの、中堅~上位寄りの位置でランクされ、 十数名の批評家が「自分のオールタイムベスト 10」の中に『生きる』を選出しています。 2022 年の最新版でも同様に、一定数の投票を獲得しており、黒澤作品の中でも安定して評価され続けていることがわかります。

評論

アメリカの著名な映画評論家、ロジャー・イバートは自身の評論の中で『生きる』について以下のように語っています。   英語原文(引用)   “Over the years I have seen ‘Ikiru’ every five years or so, and each time it has moved me, and made me think. And the older I get, the less Watanabe seems like a pathetic old man, and the more he seems like every one of us.”   日本語訳(参考)   「長年にわたって私はおよそ五年おきに『生きる』を観てきましたが、そのたびに深く感動し、考えさせられます。そして自分が年を重ねるほどに、渡辺は哀れな年寄りではなく、むしろ私たち一人ひとりの姿そのものに感じられるのです。」  — Roger Ebert, “Ikiru (1952)”, https://www.rogerebert.com/reviews/great-movie-ikiru-1952, 1996-9-29,(2025-03-11閲覧)

影響

レフ・トルストイからの影響

『生きる』の根底には、レフ・トルストイの短編小説『イワン・イリッチの死』からの強い影響が指摘されています。 トルストイ作品では、ごく平凡な役人が死の淵に立ったときにはじめて自らの生き方を見つめ直す過程が描かれますが、『生きる』の主人公・渡辺にも同様の構図が見られます。 自分の死を受け入れる苦悩と、その先で見えてくる人生の意味――という普遍的なテーマを、黒澤は日本の戦後社会に置き換え、リアリティと人間ドラマをさらに深めています。 トルストイからの影響を咀嚼しつつ、日本の官僚機構や社会風土を背景に再構成した点は、『生きる』ならではの独自性を生み出す大きな要因となっています。

カズオ・イシグロによるリメイク

近年では、カズオ・イシグロの脚本によってリメイクされた映画『リビング』(原題: Living)が話題となりました。 イシグロは『日の名残り』などの作品でも知られるように、社会や個人の内面に潜む葛藤を描くことに秀でた作家です。 そのイシグロがリメイクに取り組んだことで、原作が持つ「死と生の狭間でこそ浮かび上がる人生の意味」という哲学的テーマが改めて世界的な注目を集めています。 舞台をイギリスに移しながらも、『生きる』が提示した「人生の充実」という普遍的なメッセージはそのまま継承されており、オリジナルのファンにも新鮮さをもたらすと同時に、初めて『生きる』の物語に触れる人々にも深い感銘を与えたことでしょう。

「生きがい」について

「生きがい」とは、文字通り「生きる価値」「生きる意味」を指し示す日本語の概念で、しばしば「人生の目的」や「存在意義」といった意味合いでも語られます。近年は海外でも “ikigai” として紹介され、日本独特の人生観や幸福観を象徴する言葉として注目を集めています。 黒澤明監督の映画『生きる』(1952) においても、「主人公・渡辺勘治が余命いくばくもないと知ったとき、何をもって“生きがい”とするのかを見つめ直す」というドラマが描かれています。ここでは、渡辺の生きがいは「自分の命が尽きる前に、社会の役に立つものを形にしたい」という切実な願いへと結晶化し、やがて公園建設というかたちで具体的に実行されていきます。 日本人にとっての「生きがい」は、しばしば以下のような側面を含むとされます。 社会とのつながり・貢献 自分一人の満足だけでなく、他者や社会に役立つことを通じて得られる充実感や自己肯定感。 個人の内面に根ざす喜びや興味 創作活動、趣味、人間関係など、主観的に「わくわくする」「やりがいがある」と感じられること。 人生全体を通じて継続する探求 「生きがい」は一度見つけたら終わりではなく、年齢や環境によって変化していくものと捉えられることが多い。 黒澤の『生きる』が問いかける「死の意識」と「生きがい」は切り離せないテーマです。 死が目前に迫ったとき、人はようやく自分にとって本当に意味のあるもの、すなわち「生きがい」を問い直す。 それまで形骸化していた日常や仕事が、主人公の意志によって新たな輝きを帯び始める構図は、日本人の伝統的な価値観である「社会貢献」「公のため」という要素と強く結びつきながらも、普遍的な人間のテーマとして世界中で受容されてきました。 このように、「生きがい」は個人の満足と社会性が融合した概念であり、『生きる』はそれをストレートかつ深遠に描くことで観客の心に問いを投げかける作品と言えます。自らの「生きがい」を見つけることの重要性、そしてそれがどれほど困難であるかを改めて考えさせられる点が、今なお多くの人を惹きつける理由の一つです。

まとめ

こうした国境を越えた作品の受容と再解釈は、まさに『生きる』が持つテーマの普遍性を証明するものと言えます。 人はいつか必ず死と向き合わねばならないという厳然たる事実、そのとき自分は何を感じ、何を残していくのか――その問いかけが本作の根幹です。 死に直面した人間の必死の行動と周囲の反応を対比しながら「本当の意味で生きること」を問い続ける構成が、『生きる』を時代を超えた傑作たらしめています。 これからも多くの人々に生き方を問いかける作品であり続けることは間違いないでしょう。